学習会報告「障害者虐待防止・養護者支援法」とは
なぜ、虐待防止法の学習会か
全日本手をつなぐ育成会が主催して、虐待防止法をテーマに権利擁護セミナーを開催すると聞いて私はびっくりしました。
東京都知的障害者育成会理事長は、全日本手をつなぐ育成会副理事長です。
この東京都知的障害者育成会の施設で起こった、障がい者差別事件(「わいせつ」事件)について考えれば、全日本育成会は、虐待防止法のセミナーをする前に、この障がい者虐待事件を反省して、再発を絶対に防止すべきだというのが、常識というものでしょう。
2011年10月28日に被害者の勝利判決となりましたが、被害者・施設利用者の願いを無視して、東京都知的障害者育成会は、判決を不服として控訴しました。とんでもないことです。
こうした東京都知的障害者育成会がおこしたような障がい者差別虐待事件が、どうしてなくならないのか、虐待防止法ができれば解決するのか、それを考えるために学習会を開催することにしました。 東部ユニオンの方に講師をお願いをし、この法律の問題点について提起していただき、みんなで学習・討論をしました。
講師の提起は以下のようなものでした。
虐待防止法とは
障がい者の虐待が後をたたないことを背景を成立したもので、この法は、正式名称を「障害者虐待の防止・障害者の養護者に対する支援等に関する法律」といい、2011年6月17日に成立、2012年10月1日から施行されるものです。児童虐待防止法(00年11月施行)高齢者虐待防止法(06年4月施行)に続くものとして成立しました。この二法と同じよう「虐待に至った養護者への支援」に言及しています。対象としては、身体、知的、精神障害を負う人で、障害者基本法に定めたものです。虐待の種類は、身体的、性的、心理的虐待、放置、経済的虐待の5分類とされ、虐待の起こる場所は、家庭内、福祉施設、職場とし、その虐待を行う者として、養護者の他、福祉施設の職員や職場の上司等を明記しています。虐待については、虐待者と被虐待者に限らず、社会全体で共有すべきという視点から虐待を発見した国民には市町村や都道府県に通報する義務を課しています。国と地方公共団体は、その防止と養護者への支援を進める義務を負います。通報を受けた場合、市町村は、被害者の生命に関わる重大な危険があると判断した場合、家族の許可がなくても家庭内に立入り調査することができ、福祉施設の虐待については都道府県が調査の上指導し、その状況と対応を公表します。職場の場合は、市町村または都道府県から労働局(国の機関)に報告し、調査、指導の上実態を公表できます。これらに伴い、全ての自治体に「市町村虐待防止センター」が設置され、都道府県には「都道府県権利擁護センター」が置かれることになります。学校や病院という虐待が多発する場所については研修が課せられる程度です。
なぜいま虐待防止法か
法の背景には児童、高齢者虐待防止法を基に、2011年8月5日の障害者基本法改正で「福祉」用語の一掃をし、「消費者としての障害者の保護」が創設されましたが、この法律は「可能な限り」という言葉を6カ所にも入れ、国の予算削減ができるようにしています。例えば千葉の福祉救助隊のようなボランティア活動や、日弁連は行政から独立した第3者救済機関の創設の提案がされています。しかし、今、野田首相は「社会保障と税の一体改革」と言って消費税の大増税を指導しています。
国民の負担を増額していく施策であり、当然、反対の声があがっています。2011年厚生労働白書は「福祉から就労へ」「救貧・防貧から参加型社会保障へ」と言っています。社会保障制度は、資本主義が搾取維持と延命のために安全装置・予防反革命装置として必要に迫られできてきたものです。
資本主義は搾取材料として労働者階級を膨大に生み出しながら、労働者の団結した力を最もおそれ、最末期の資本主義である新自由主義は、労働者階級の団結を破壊すること、例えば中曽根の国鉄解体分割化として具体化しています。資本主義を延命させるには、この団結の分断をすることを唯一の搾取維持と武器にするものであり、民営化、外注化、非正規化として、最大の分断攻撃をもちこみます。それは福祉にも貫かれるもので、その実現化が「障害者自立支援法」であり、社会保障を「国家財政の重荷」として解体するばかりか障害者抹殺にまで行き着くためにも、「資本の収奪機構」に逆転させて「成長産業」に変えながら(例えば医療技術の向上による機器の開設など)、分断と翼賛体制を作ろうとしているのであり、この体制のもとでは、「人権法案」は労働者階級の分断・増税・民営化容認の攻撃であると、解説されました。ユニオンの方の話はわかりやすく、ああそういう仕組みかということが伝わってきました。
虐待防止法で虐待を防げるか
このような提起を受けて議論沸騰です。 育成会は「障害者自立支援法」成立過程で、当時の常務理事がいみじくも言ったように「社会体制、財源の危機のとき、障害者個々の懐具合を問題とすべきではない」として、この法律に賛成してきました。本来、国の憲法で、福祉は国民の権利であり、国はそれを保障することが第25条として定められているのです。それを変貌し、破綻し、その上で「障害者虐待防止法」が必要とされる時代になったのだと語られ、法が「虐待の認定」運動ですむのか、通報や職員間の相互監視を強めて本当に虐待はなくなるのだろうか、ということです。支援センターは公的責任をはずれ委託の非正規労働者に守秘義務や個人情報を押し付け儲けの材料にすらしているのです。本来、障害者の生活の安定のためには、福祉労働者等の生活安定が必須条件として定められていました。しかし「障害者110番」という制度をみても民間委託であり若干の補助を出し、非正規職員しか雇えない状況では、虐待の発見にすらならないのです。札幌で「姉は病死、妹の障害者は凍死」という記事に見られるように、最後のセーフティネットと言われる生活保護さえ受けられれば死なないで済んだかもしれないのに、7万円の障害年金で暮らしていたという事実をとっても、全く提起は的を得たものでした。生活保護を受ける人が205万人を超え戦後最大だと騒いでいますが、それは政府予算の1.5%程度のものであり、アメリカでさえ13%以上の費用支出をしているのです。
どうしたらいいのか
提起者は、やはり、労働者も障がい者も「生きさせろ」と声を上げ、闘っていくことが最大の武器であることを明確に指摘しました。今の社会のあり様を変えないで、虐待は連鎖するばかりでなくならないのです。新自由主義とはそうした虐待を生み出すものである。虐待が拡大する要素を生み出しているのです。
提起者は、日本国債暴落の責任を一切が労働者階級に押し付けられる(消費税の増税)「財政の健全化」と「社会保障改革」が公然と叫ばれている今の国会のありようをとらえようと提案されました。やはり、虐待を生み出さないためには労働者と障害者が団結して闘うこと、国の日本国憲法でさえ、国民は主権者であると言っているのです。自分たちを主人公として共に変わっていくことが虐待をなくしていくこととして最後にまとめられました。さすが長年の闘いをリードしてきた方だけであり、明確な提起でした。
なお、前回の学習会では、「障害者総合福祉法は是か非か」というタイトルで学びましたが、「障害者自立支援法」の反省のもとにつくられた「障害者総合福祉法」(仮称)は、厚生労働省に骨抜きにされ、「障害者自立支援法の改正等」として国会に提起されることになってしまいました。
今後も学習しながら闘い、闘いながら学習をしていきます。
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