それでもまだラジオ体操しますか?

ラジオ体操って、うっとおしいのは昔から
 北京オリンピックで国威発揚とか、日の丸・君が代宣伝隊たるべく選手団が活躍とかのカシマしい季節になってしまった。労働者に過酷な毎日の問題をほったらかして、オリンピック特別番組テレビを深夜まで見ている暇もないからとりあえず平常な毎日を送りたいものだが、朝からヒートアイランド現象のうだるような暑さのなかで、近所の公園でラジオ体操の放送が大きな音声をあげているのもうっとうしいぜ!
ラジオ体操と天皇制のしがらみ
 ラジオ体操は、1928年に当時の逓信省簡易保険局が制定したのが始まりで、同年11月1日午前7時に昭和天皇の「御大典記念事業」の一環として放送を開始した。「この体操は、今上天皇のご即位の大礼を記念し奉るとともに、広く一般国民に体育を奨励し、・・・昭和維新に於ける国家の進運に貢献したい・・」。正式名称は国民保健体操であった。
1925年3月にアメリカのメトロポリタン生命保険会社が、健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、広告放送として放送されていた(世界初の)ラジオ体操が基となった。NHKで放送を担当したのはラジオ体操のために採用された元軍人の江木理一アナウンサー。この人は初回からブリーフパンツ一枚の姿でマイク前で体操していたのであるが、「照宮成子内親王もラジオ体操に御執心なり」と聞き及ぶや、濃燕尾服に蝶ネクタイを締め、正装に身を包んで放送に臨むようになった、という。
戦争下で士気向上の道具
 夏の早朝ラジオ体操の起源は1931年から東京のある巡査がおせっかい極まるこの悪習をはじめ、それが全国に広げられた、という。どうも「夏休みで緊張感を欠く子どもに精神的によい効果を与える」という発想らしい。内から湧き出るものを伸ばしてやるより、課題を与えて消化させる。出欠とかはっきり記録できるものがいい。揃って同じ姿勢をとるような集団性も重要。つまりみんなで一緒に動いて、勝手に動いてはいけない、ちょっとしたミニ軍事教練だ。そんな条件が「教育的」であるということで奨励されたのだろう。
 1937年文部省から、学校でもラジオ体操を重視するように指示されて、心身鍛錬のために早朝に学校・神社で実施されるようになった。1939年には軍国主義的国民体力形成のために「大日本国民体操」というもののも作られる。これは「ラジオ体操第三」と呼ばれ、植民地でも「挙国一致」体制の証しとして位置づけて強制された。
 1943年には「国民運動夏季心身鍛錬体操の会」が各地に作られて「夏のラジオ体操」の強制性が強められた。戦争末期には1日3回もラジオ体操をして「国民の士気向上」をはかろうとした、という。
戦後のラジオ体操
 敗戦の当日、8月15日には「玉音放送」に譲って放送されず、再開は8月23日。戦後は、戦争との結びつきが嫌われたのだろう、低迷するが、1951年2月26日に発表されたのが、今の「ラジオ体操第一」。5月から放送開始。翌年に今の「ラジオ体操第二」も制定、放送を始める。以後、きょうに至るが、1989年1月7日、昭和天皇危篤の臨時ニュースが放送されたときにはラジオ体操の放送が中止された。1月8日にも、前日の昭和天皇死去に関連した特別番組を放送する関係上、ラジオ体操の放送は行われなかったので、天皇制との「しがらみ」は生きているのだと言えよう。

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