労働審判制度の問題点

 ユニオン東京合同第7回定期大会での労働審判問題に関連する議論の妙録(一部加工)を掲載します。 
A きょうは合同労組の仲間が集まってお話をする機会を得ましたので、そこで教えていただきたいのですが、今、分会としては、労働委員会に救済申し立てする事を考えているんですけど、それとは違って、労働審判という方法もあるという事を聞いているんですよね。その違いがちょっとわかりにくいというか、どういう事なのかな~っと、うちの分会の中でも労働審判の方向で行こうと考えている人もいるので、何か一言アドバイスいただきたいと思うんですが。
使用者側の発想からできた。
B 労働委員会の闘いというのはいろんな蓄積があります。こういう訴えに対してはこういう決定が出るみたいなのが大体わかっているんですけども、労働審判というのはすごく新しい制度で、実際に動き始めたのは06年なんですね。実際、私達色々な中で労働審判にかけようとして準備した事もあるんですが、実はまだ1件も挙げてないんです。理由は「非常に使いにくい」。どうしてかというと、労働審判裁判官と指名された労働審判員2名、その合計3名の合議体で、実質3回の審議で決めちゃうというものです。これで異議がなければ、その審判は和解と同じ効果がある。裏を返せば、審判が出たとしても、使用者が絶対に審判に従わないと言ってしまえば和解が成り立たないわけです。そして、そのまま通常の訴訟に移行しちゃうんですね。だから「白黒ハッキリつけて労働者が早く救済される」っていうのとは違います。
もともと、使用者側が、「労働争議は長くかかるからいやだ、早く決着つけよう」というところから始まったものなのです。皆さんも団交をやっているからわかるけど、団交のやりあいの中でいろんなのが出てきたり、こっちの主張がまとまったりするじゃないですか。それをあらかじめ全部決めて1回で主張して、向こうから反対の意見が出て、それに対してもう1回主張して、それで「はい、審判。」というのは使いにくいなぁ、という感じがします。それが一点。
あともうひとつは、基本的には労働審判というのは、組合とかの庇護がない労働者の救済策として設定されていて、労働組合が絡んでいれば労働委員会を通じて強制力をもった行政命令を出させることができますが、労働審判の場合には、使用者に対して強制力をもった審判を出させることは困難です。
労働委員会制度を使おう。
C 皆さんも日ごろ強調されているんだけど、労働組合は労働組合を徹底的に使いこなすっていうか、それに依拠して、それで使用者・資本と労働委員会そのものと渡り合うべきだっていうのが大体共通した考え方なんですけどね。
 うちは徹底して労働委員会なんです。労働組合法っていうのは、教育基本法と並んで、いわば日本国憲法の先取り的法律だから、改悪されたといえ労働組合法を駆使するっていう、そういう思想が必要だと思うんですよね。
労働審判制っていうのは、労働組合の力を無力化して、労働者個人を労働組合から引き離していくものです。だから連合なんかは賞賛したんですよ。「自分たち厄介な事背負わなくていい」っていう考え方ですよ。それを何ていう言い方をしたかというと、『泣き寝入りしないすべを労働者が手に入れた』って。労働審判制っていうのはどういう連中が賛成したかっていう事ですよ。
労働運動になじまない
D 補足しますと、労働運動と労働審判制は全く無縁だと私は考えています。労働運動とは、団結というのを基本として成り立つ行為ですよね。それは労働運動の基本的な問題だと思うんです。労働審判制とか裁判も含めて、団結という文字が出てこなければ問題です。こういう明らかな違いがあるんですね。だから、労働運動というのは全て団結に依拠して行われる行動である、ということこそハッキリしておかなければいけないんだろうと思うんです。我々は労働組合に結集してこうやって合同労組をつくり、こうして労働運動をやってるわけですよね。労働運動をやっている我々にとって労働審判制っていうのは、全く蚊帳の外にあるものというか、あえて言えば「百害あって一利なし」というふうに断じていいだろうと思います。
もうひとつは、力関係が全てを決めるんであって、裁判とか何とかによって決まるものではない。全ては力関係です。あらゆる事が力関係で決まる。こういう事においては、やはり我々は団結というものを基盤にしながら司法に対して、力関係を示していくということ以外ないんです。
労働契約法との関連
E その関連ではこの間成立した労働契約法というのはどういう位置づけになるんですか、その労働審判制と裏返しの関係ですか?
D その労働契約法っていうのは、資本と個人の個別契約という事で民法の考え方ですよね。
労働基準法って、労働者個人の最低の労働条件を保障するものです。労働組合法っていうのは憲法28条から来てるわけですが、労働基準法は28条から来てるわけじゃないんですね。
団結権から来てるわけじゃないので、やはり労働契約法も個人契約の色彩が全く強いわけです。そういう意味では団結という団体行動については全く別のものであるというふうに位置づけられると思うんですけどね。だからやっぱり我々は労働基準法と労働組合法によって労働条件は決めていかなきゃいけないものであって、それに対して労働契約法なんて余計なものが突っ込んでくることには断固反対という事ですけどね。
それは「戦後レジームの解体」そのものですからね。戦後我々が獲得した労働組合法と労働基準法という大きな2つの柱を労働契約法に込められた攻撃によって失う事になるわけですから、そういう意味では安倍を打倒したけど、まだ労働契約法は生き残ったという非常に残念な事態になっているわけです。
労働契約法との闘いは今後も続く
B ただ、今回の労働契約法成立についてですが、11月28日に通った労働契約法は、使用者側の通したい内容の核心部分は通したんですけど、ただそれに付随するホワイトカラーイグゼプションや解雇の金銭解決制度などの使用者側が本当は絶対いれなきゃいけないものって考えていた点について、まだ通せていないんです。労働契約法の一番通しやすいところだけ通してきたに過ぎなくて、敵は「小さく産んで大きく育てよう」としているので、労働契約法との闘いはまだ続きます。たぶん08年の私達合同労組の重要な課題として位置づくんだと思います。
D 日本共産党の一番いけないのは、「悪法でも通れば法律として認める」という事だと思うんです。我々には「悪法は通っても実行させない」という闘いがあるわけで、そんな悪法に従う筋はないというのが基本的な我々のスタンスだと思います。法になったんだからその法に従うべきだなんて考えるわけじゃないということですね、
F 個別的労使関係という労働契約法と労働審判制の事で議論になったんですが、労働運動の、その集団的労使関係での最高形態が組合・団結だと思うんです。それを切り離すというところに問題があるんです。それがまず基本的なことです。
A 皆さんの発言を聞きながら考えて、色々あるうちからその都度適当な手段を選ぶ、というようなことではなくて、労働委員会を活用して闘っていくことの意味がわかってきて、参考になりました。「基本は団結。力関係で勝負。労働委員会闘争も現場の闘争に役立てる。」というスタンスで頑張ります。きょうはどうもありがとうございました。

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